薬科ブログ日々の学校生活を紹介する学校ブロクです。
学校だより 令和8年5月号
2026年04月27日
中学
高校
「最強3人娘」
校長 冨里 一公
雨降りや体調が悪くない限り、いつも7 時45 分から校門立哨を日課としている。毎朝、薬科生とともに沢岻小学校に通う生徒たちも正門から東門へと通過していく。本校周辺の道路は、道も狭く通勤通学の抜け道となっていて小学生が登校するには危険なので本校の校内を通学路として利用することを許可している。校門立哨をしている私の前を低学年生徒は大人しく挨拶をして、高学年の生徒は年頃なのか恥ずかしそうに通過していく姿を毎朝、微笑ましく眺めている。
ところが昨年の4 月にその静かな通学風景に突如異変が起こった。ピカピカの一年生、女の子3 人組が、朝の静けさを破ってけたたましく正門から私をめがけて走ってくるのである。私は勝手に「最強3人娘」と命名している。この3 人、朝、正門で私を見つけるなり「オジーがいる!」と叫ぶ、そこから校舎の正面玄関に立っている私の目の前まで猛ダッシュしてくるのである。そのスピードたるやお前たちはオリンピック選手か?と言いたくなるほどである。そして、私の前に来るなり「今日は何でネクタイしている!」だの「ポケットに手を入れて立っているとダメだよ!」など昭和薬科の校長に対する敬意もへったくれもない。私をそこら辺にいる普通のオジーと完全に思っているのだ。(笑)
その天真爛漫な姿、何事にも動じない物言い、まさしく怖いもの知らずの「最強3人娘」である。親御さんも自分の娘たちがまさか昭和薬科の校長相手に毎朝、罵詈雑言を浴びせているなんてゆめゆめ思っていないだろう。私とその「最強3人娘」とのやりとりを登校してくる薬科生も時に笑いながら見ている。何とも微笑ましい朝の幸せなひとときなのである。
そんな幸せなひとときに私はふっとある想いを抱くのである。それは、今から50 年前、この沢岻の丘に本校を創立してくれた学校法人昭和薬科大学の第7 代理事長である荻原光太郎先生の事である。本校の建学の精神は「先の太平洋戦争で多大な戦禍を被った沖縄県の復興・発展のために教育を通じて人材を育成する」である。復帰後の1970 年代初頭、沖縄県を訪れた荻原理事長が本土決戦の捨て石となり、多くの尊い命が失われた我が沖縄県の惨状に心を痛め創立されたのが本校である。
私が小学生だった頃、教育レベルや教育環境が脆弱だった沖縄の優秀な小学生の多くは、中学から九州などの進学校に親元を離れて進学するしかなかった。もし、50 年前の荻原理事長の英断がなければ、未だに沖縄県の優秀な生徒たちは、海を渡っていたかもしれない。あれから50 年、荻原先生の深い想いとともに沖縄県を代表する進学校としての本校の今がある。荻原理事長も天国から自身が蒔いた種が発芽し、大輪の花を咲かせている本校の現在を大いに喜んでいることだと思う。
前述の「最強3人娘」と荻原理事長との間に何の関係性もないのだが、毎朝、校門立哨で彼女たちと微笑ましい会話をしている瞬間なぜか私には校長室に飾られている荻原理事長の顔が目に浮かんでしまうのである。
今日も例の如く正門から猛ダッシュで「最強3人娘」がやって来る。彼女たちもこの4 月から二年生。いつだろうか?彼女たちが私を普通のオジーではなく昭和薬科の校長として敬意を持ってくれるのは・・。でもそれはそれで寂しい気もするのです。「最強3人娘」は、いつまでも天真爛漫の怖いもの知らずのままでいてほしいと願っている。
